第7篇 日本人の季節(jié)感
【作者介紹】
石森延男(1897-1987)沈撞,國語教育家励幼,兒童文學(xué)家汰寓,出生在日本北海道。主要著作有「コタンの口笛」苹粟、「バンのみやけ話」有滑、「梨の花」、「作文二十話」等嵌削。
【通讀選篇】
少年のころ毛好、わたしの住んでいた家には、から松の生け垣がありました掷贾。から松は四メートルばかりの高さで睛榄、二十メートルも橫隊(duì)になって茂っていました。
雪がやっと消えて想帅、春が訪れると、いろいろな木がしっぺんに芽を吹き出します啡莉。生け垣のから松も港准、小さな丸い芽を出します旨剥。そのそばに近づいていくと、ぷうんと芽の香がするのです浅缸。思わず轨帜、から松の芽をつまんでかいでみるときついにおいが発散して、鼻の穴の奧をくすぐります衩椒。わたしは蚌父、春を確かめるような気持ちで、幾つも芽を摘み取ったり毛萌、手のひらにこすり付けたりしました苟弛。そして、木の芽のにおいをかいで季節(jié)を感じるなんて阁将、わたし一人だろうと思っていました膏秫。
ところが、ある日做盅、わたしが父と野原一を散歩したときのことです缤削。野原には、芝草やあかざやえのころぐさ?ひめじょおんなど?さまざまな雑草が生えていました吹榴。
「これ亭敢、なんだか知っているか⊥汲铮」
父は吨拗、一本の野草を取って、わたしの目の前に突き出しました婿斥。
「知っているとも劝篷。」
「なんだ民宿〗考耍」
「よもぎだよ』钣ィ」
父は哈恰、ちょっと笑ってうなずき、それからこんな話をしてくれたのです志群。
「草のにおいをかいで着绷、その季節(jié)を楽しむのは、昔も今も変わらんな锌云≤剑」
「昔って、いつごろ”蛳颍」
「大昔からさ兼贡。千年も前に清少納言が書いた『枕草子』という本にも出ている⊥薜ǎ」
「どんなことが遍希。」
「牛車に乗って山里を行く途中里烦、車の輸にふみつぷされたよもぎのにおいがただよってきたというんだよ凿蒜。」
この話を聞いて胁黑、わたしは废封、清少納言という人が、千年もの歳月を飛び越えて别厘、いっぺんに身近にやってきたように感じました虱饿。
それから數(shù)年たって、十四触趴、五のころ氮发、父について「枕草子」やまんようしゆう「萬葉集」を読むようになりました。そうして冗懦、これらの中にほ爽冕、季節(jié)感が至る所にもりこまれているのに驚きました。父は披蕉、もし日本人の心に颈畸、季節(jié)感というものが流れていなかったら、日本の文學(xué)は味わいのとぼしいものになったろう没讲、特に眯娱、短歌や俳句などは生まれてこなかったかもしれない、と言いました爬凑。
そんなことで徙缴、わたしはいつの間にか國文學(xué)に取りつかれ、日本の古典といわれるものに觸れるようになりました嘁信。そうして于样、觸れれば觸れるほど、日本人の季節(jié)に対する感じ方のこまやかさや鋭さなどに心を引かれるようになったのです潘靖。
最近は穿剖、ビニルハウスがたくさん作られて、花でも野萊でも果物でも卦溢、年がら年じゅう栽培され糊余、収穫されて秀又、いつでも目に觸れるようになりました。わたしたちの少年時(shí)代は啄刹、菊といえば秋の花であり涮坐、トマトといえば夏のものと思っていたものですが凄贩、栽培法が進(jìn)むとともに誓军、花や野茶の季節(jié)感もいくらか違ってきたように思われます。そのうえ疲扎、道路を造るために昵时、川や畑がうめられ、団地建設(shè)のために椒丧、山野や森林がけずられてしまい壹甥、野鳥の聲も遠(yuǎn)くなり、木々の緑もまばらになって壶熏、四季おりおりの趣も消えていく感じです句柠。
しかし、わたしは棒假、必ずしも悲観はしません溯职。というのは、次々に近代化されていく都市や農(nóng)村の風(fēng)景にも帽哑、また流行の移り変わりの激レい風(fēng)俗にも谜酒、新しい年中行事の雰囲気にも、今までになかったういういしい季節(jié)感を発見するに違いないと思うからです妻枕。大昔から養(yǎng)い育てられ僻族、日本人の心に生まれている季節(jié)感の根は、そうやすやすと枯れてしまうものではないと信じていますから屡谐。
「石森延男編?中等新國語」による
【選文注釋】
①生垣(いけがき)(名詞)種植絲柏述么、刺葉桂花、光葉石楠愕掏、茶樹等常青樹度秘,形成圍繞住家的綠葉籬笆。但也有用落葉松亭珍、木槿敷钾、石榴等落葉樹種植的樹籬。
②橫隊(duì)(おうたい)(名詞)本文指橫排的落葉松肄梨。
③なんて(副助詞)由などとは變化而來阻荒。彼が病気だなんてうそだ。
④とも(終助詞)表示“斷然肯定”之意众羡。もちろん侨赡、行きますとも。
⑤清少納言(せいしょうなごん)(人名)日本平安時(shí)代的女流作家,是歌人清原元輔的女兒羊壹,著有隨筆集《枕草子》蓖宦。
⑥枕草子(まくらのそうし)(名詞)日本平安時(shí)代具有代表性的隨筆文學(xué)作品。
⑦牛車(ぎっしゃ)(名詞)日本平安時(shí)代貴人坐的牛拉轎車油猫。
⑧萬葉集(まんようしゅう)(名詞)日本最古老的詩歌集稠茂,主要收錄四世紀(jì)至奈良時(shí)代約四百年間的詩歌,共約四千五百首情妖。
⑨年がら年じゅう(副詞)終年睬关,一年到頭。
⑩芝草(しばくさ):結(jié)縷草
?藜(あかざ):草
?えのころぐさ:尾草
?ひめじょおん:一年蓬毡证,姬女草
【參考譯文】
日本人的季節(jié)感
少年時(shí)代电爹,我居住的家中栽有落葉松樹籬,落葉松高約四米料睛,橫向排開竟達(dá)二十米之長丐箩,長得十分茂盛。
積雪剛剛?cè)诨羯罚禾炀鸵獊砼R了屎勘,一夜之間各種樹木都吐出了葉芽。樹籬的落葉松也冒出一個(gè)個(gè)小小的圓芽阱州,剛一湊近挑秉,嫩芽的清香便撲鼻而來。情不自禁捏住落葉松的嫩芽來聞聞苔货,犀概,那散發(fā)出的濃濃香味使我的鼻孔深處感到癢癢的。懷著探春的心情夜惭,摘了幾顆嫩芽在手心中搓揉姻灶,然后聞著那嫩芽的香味感受季節(jié)的氣息,過去我一直認(rèn)為這樣做的只是我一個(gè)人呢诈茧。
然而有一天产喉,我和父親一起在原野中散步時(shí),看到原野中長滿了結(jié)縷草敢会、藜草曾沈、狗尾巴草、姬女菀等各種雜草鸥昏。
“你知道這是什么塞俱?”
父親拔了一棵野草遞到我的面前問道。
“當(dāng)然知道吏垮≌涎模”
“叫什么罐旗?”
“叫艾嵩∥ǖ”
父親微笑著點(diǎn)點(diǎn)頭九秀,然后跟我講述了這樣一件事。
“通過聞草的香味來感受季節(jié)粘我,這在過去鼓蜒、現(xiàn)在都是相同的呀!”
“你說過去涂滴,指什么時(shí)期友酱?”
“很早以前晴音。約一千年前柔纵,在清少納言寫的《枕草子》中就有記載〈冈辏”
“什么事案榱稀?”
“據(jù)說坐牛車在山村中行駛時(shí)系羞,會飄來被車輪軋碎的艾嵩香味郭计。”
聽了這番話椒振,我突然感到清少納言這個(gè)人物仿佛已飛越了一千多年的歲月昭伸,一下子來到了我的身邊。
打那以后澎迎,又過了幾年庐杨,在十四五歲時(shí),我便開始跟著父親讀《枕草子》夹供、《萬葉集》了灵份。讀著讀著,使我感到驚訝的是哮洽,書中到處都交織著季節(jié)感填渠。父親說,若是日本人的內(nèi)心深處沒有季節(jié)情感的涌動(dòng)鸟辅,那么日本的文學(xué)就會變得平淡無味氛什,更不可能有短歌和俳句之類問世了。
由于這一原因匪凉,我不知不覺地迷上了國文學(xué)枪眉,開始接觸被稱之為日本古典的作品。而且洒缀,我覺得日本人對季節(jié)的感受是那么的細(xì)膩瑰谜、明銳欺冀,越讀越令人著迷。
近期萨脑,搭建了不少暖棚隐轩,無論花卉還是蔬菜和水果,四季都能栽培渤早、收獲职车,所以任何時(shí)候都能上市。在我們的少年時(shí)代鹊杖,提起菊花悴灵,便知道是秋天的花卉;說到西紅柿骂蓖,就會想到是夏天的蔬菜积瞒。如今在栽培法得到發(fā)展的同時(shí),人們對有關(guān)花卉或是蔬菜的季節(jié)感也多少產(chǎn)生了一些錯(cuò)覺登下。為了修路茫孔,填埋了河流與田地;為了建設(shè)高樓大廈被芳,開山伐木缰贝,所以,我們感到鳥啼聲已在遠(yuǎn)離畔濒,樹木的綠葉正在日益稀疏剩晴,四季應(yīng)時(shí)的情趣也在逐漸消失。
但是侵状,我并不悲觀赞弥。之所以這么說,因?yàn)槲矣X得在逐漸接近現(xiàn)代化的都市壹将、農(nóng)村的風(fēng)景中嗤攻,在流行變化顯著的風(fēng)俗中已經(jīng)新式的節(jié)日慶祝氛圍中,肯定會發(fā)現(xiàn)至今所沒有的稚嫩的季節(jié)感來诽俯。我確信妇菱,遠(yuǎn)古時(shí)代就已培育出來的,一直深植于日本人心中的季節(jié)感的根是不會那么輕易枯萎的暴区。