六 副詞の語形
副詞の語形副詞の語形にはいろいろあるが桂塞、もっとも多いのは座舍、「――と」「――に」という形である症杏。
(一)「――と」 ①擬聲語?⑵擬態(tài)語?⑶漢語を副詞として用いたもの丈秩。
⑴ ふと思い出す铃芦。さっと身をかわす郑趁。つんとしている丛塌。どんとぶつかる喧笔。
ぬっと現(xiàn)れる。はっと驚く鲫咽。ぽっかとなぐる签赃。ぼんと投げ出す。
ぐいと押す分尸。ふわりと浮く锦聊。わっと泣き出す。
⑵おっとり(と)かまえる箩绍。にっこり(と)微笑む孔庭。じろり(と)にらむ。ゆらゆら(と)そよぐ。
ぶんぶん(と) ぶらぶら(と)からから(と)ごろごろ(と)さらさら(と)
ちらちら(と)はらはら(と) そよそよ(と) 〈※()內の「と」は略しても用いられる圆到≡跖祝〉
⑶ 整然と居並ぶ。 憤然として去る芽淡。悠然とかまえる马绝。堂々と行進する。
朗々と 颯爽と 泰然と 呆然と
⑶の漢語は挣菲、古典語の場合は形容動詞タリ活用の連用形であるが富稻、現(xiàn)代語の場合は副詞と見る。
(二)「——に」
さらに進む白胀。たまに現(xiàn)れる椭赋。ついでに片づける。しきりに頷く或杠。すぐ(に)來なさい哪怔。
次第に いっせいに たちまち(に)さすが(に)近々(に)まめに かりに
いくつかの副詞は、「だ」「です」を伴って向抢、述語になることがある认境。
駅はもうすぐ だ (です)。そのわけはこう だ (です)挟鸠。いや元暴、まったく だ (です)。たしかにそう だ (です)ね兄猩。やあ、しばらく だ (です)ね鉴未。
「——に」 の形の副詞と形容動詞の連用形との識別法
⑴ すぐに たちまちに しきりに
⑵ 靜かに 朗らかに 丁寧に
①⑵ともに語尾が「に」なので紛らわしいが枢冤、これらを區(qū)別するには、連體形に活用させてみると形容 動詞連體形の用法)
⑶ すぐな たちまちな しきりな
⑷ 靜かな日 朗らかな人 丁寧な人
となって铜秆、⑶は淹真、このような使い方はしないし、活用もしないので连茧、副詞核蘸、⑷は、體言に連なるとともに活 用するので啸驯、形容動詞客扎、と判斷できる。
體言に「に」の付いたものと「ーに」の形容動詞との識別法
⑴人を感動させるものは罚斗、誠にまさるものはない徙鱼。
⑵ それは、まこと(誠)に、君の言うとおりだ袱吆。
ともに連用修飾語となっていて同形ではあるが厌衙、⑴は「體言(「誠」は「誠意?誠実」の意)十に」であり、 ⑵は绞绒、「ほんとうに?実に」の意であり婶希、「誠な」とは活用しないので、形容動詞の連用形でもなく蓬衡、副詞である喻杈。
「く」で終わる副詞と形容詞の連用形との識別法
⑴まったく ごく おそらく(副詞)
⑵ 美しく ひどく すばらしく (形容詞の連用形)
ともに語尾が「く」であって紛らわしいが、同様に連體形に活用させてみると撤蟆、⑴は活用しないので奕塑、副詞であり、⑵は家肯、次のように活用できるので龄砰、形容詞の連用形である。
美しい人 ひどい人 すばらしい人
七 連體詞
この本は讨衣、面白くない换棚。 わが國は、島國だ反镇。
とんだ厄介をかけた固蚤。
傍線の語は、自立語で活用がなく歹茶、主語?述語にもならず夕玩、それだけで連體修飾語となるものである。このような語を惊豺、連體詞という燎孟。
「わが」は、古典語では「わ(代名詞)+が(助詞」からなる連語であるが尸昧、現(xiàn)代語では一語として取り扱う揩页。
連體詞は、連體修飾語になるとはいっても烹俗、他の品詞として扱えないものだけに限られる爆侣。したがって、次の ような例は幢妄、連體詞とは見なさない兔仰。
咲く花(動詞連體形)白い花(形容詞連體形) 靜かな海(形容動詞連體形)知らない人(動詞連用形+助動詞連體形) 私の本(名詞+助詞)少しの違い(副詞+助詞)
右の例は、他の品詞として取り扱えるものである蕉鸳≌悖「がなり昔のこと」の「かなり」については、すでに述べたように、副詞の一用法とみておく(98ページ參照)无虚。
八 連體詞の種類
連體詞には缔赠、次のようなものがある。
どの家 さるところ
(一)「――の」「――が」= この家 その人 あの時 その人 わが國
(二)「――る」= ある日 いわゆる自由主義が あらゆる學杏烟猓 さるところ
(三)「――な」= 大きな男 小さな家 おかしな話
(四)「――た」= 大した評判 たった一人
(三)と紛らわしい語に「大きい」「小さい」「おかしい」があるが嗤堰、これらは、形容詞である度宦。また踢匣、(四)と似た語に「大して」があるが、これは戈抄、副詞である离唬。
框內:〇連體詞は、連體修飾語となっても他の品詞として処理できないものであるが(前ページ參照)划鸽、場合によって は他の品詞として処理されることがある输莺。例えば、(三)の類の語は裸诽、
耳の 大きな 犬がいる嫂用。
小さな
おかしな
のように使われ、敘述性があり丈冬、用言的である嘱函。そこで、これらのものは埂蕊、連體詞から除外して往弓、形容動詞 の連體形とみることもできる。もちろん蓄氧、活用形は連體形だけであるが亮航、それも一つの処理方法ではある。
また匀们、本書で形容動詞として説いた「こんな」「あんな」「そんな」「どんな」は、その連體形の用法は准给、語幹 からすぐに體言に連なって泄朴、「どんな人」のように使われるので、形容動詞とは見なさないで露氮、連體詞とする 説もある祖灰。連體詞は、その成立時點から見ると畔规、もともとは局扶、いずれかの品詞に屬していたものが、本來の 品詞としての機能を失って、連體修飾語としてしか使われなくなったもの三妈、と考えられる畜埋。「この」「その」 「あの」「かの」は畴蒲、古典語では悠鞍、「こ」「そ」あ」「か」という獨立した代名詞に助詞「の」が付いたものとされるのであるが、現(xiàn)代語では模燥、「この」「その」「あの」「かの」は咖祭、これ以上切り離すことのできない一単語とし て使われるところから、連體詞とするのである蔫骂。なお么翰、「これ」「それ」「あれ」「どれ」は、「この」「その」「あの」「どの」と似ているが辽旋、助詞「が」「は」を伴って主語となることができるので浩嫌、連體詞ではない。以上戴已、 連體詞の認定は固该、人によってその定義や解釈がかなり異なっているし、成立の歴史も淺く糖儡、問題の多い語群 であるといえよう伐坏。
なお、次の語は連體詞とも見なせるが握联、他の品詞として処理できるものもある桦沉。例えば「明くる」は古典語動詞の連體形が現(xiàn)代語に混入したものであろうし、「昨」「故」「各」などは接頭語と見るのが一般であろう金闽。
ほんの一つ わずか三本 ばかげた話 例の話 明くる日 來る十日
生みの親 昨二十日 故○○氏 各學校 前文部科學大臣 こういう事柄
そういう日々 ああした結末
連體詞の中でも「この」「その」「あの」「どの」といった連體詞は纯露、助動詞「ようだ」にも直接連なって用いられる。
このようだ そのようだ
また代芜、これらの連體詞は埠褪、他の語を介在して體言に連なることもある。
この 美しい本(「この」は「美しい本」にかかると見るべきである挤庇。)