森の中は攒钳、晝間でも暗くて辽社、獨(dú)特のにおいがある审孽。特に废岂、雨上がりは不思議なにおいがした。それに瓮钥、夏でも涼しかった筋量。
小學(xué)二年生になり、行動(dòng)範(fàn)囲が少し広がった碉熄。といっても桨武、公園の森付近への進(jìn)出の許可がおりたくらいなのだが。それでも锈津、僕らには大きな収穫だ呀酸。男子小學(xué)生、中でも低學(xué)年にとっては琼梆、蟲(chóng)捕り(昆蟲(chóng)採(cǎi)集などというかっこいい呼び方は似合わない)が一大イベントであり性誉、スポーツでもあった。
捕まえるものに制限はなく茎杂、動(dòng)いていれば何でもよい错览。石の下にいるダンゴムシ?ワラジムシ、ヤスデ煌往。葉の裏にいるカタツムリやナメクジ倾哺。見(jiàn)つけたら蟲(chóng)かごに入れ、持ち帰る刽脖。すべて飼うのだ羞海。
毎日、何が見(jiàn)つかるか分からないところに魅力があるのだが曲管、みんながみんな蟲(chóng)捕りに參加するわけではない却邓。大抵、僕が捕まえるのをみんなが見(jiàn)ている翘地、そんな感じだ申尤。男の子はみんな蟲(chóng)が好きだと思ってはいけない癌幕。蟲(chóng)を觸れない子の方がほとんどだ衙耕。そのため昧穿、蟲(chóng)を見(jiàn)つけた子は、一歩退いて橙喘、しかし时鸵、大発見(jiàn)でもしたかのように、それを指差して僕に報(bào)告する厅瞎。まるで饰潜、僕が蟲(chóng)捕りのリーダーであるかのようだ。
しかし和簸、そんな僕よりもすごい蟲(chóng)捕り名人が現(xiàn)れた彭雾。何度か見(jiàn)かけたことがあったが、特に気にかけてはいなかった锁保。しかし薯酝、あるときその人が蟲(chóng)網(wǎng)を持っていたので、僕らは意識(shí)せざるを得なかった爽柒。大人が蟲(chóng)捕りをするなんて考えられなかったのだ吴菠。親たちは、蟲(chóng)を觸れなかったし浩村、恐れていたので做葵、てっきり、大人というものは蟲(chóng)が苦手なんだと思い込んでいた心墅。
ある日酿矢、意を決して、恐る恐る話しかけた怎燥√匿蹋「おじさん何してるの〈谈玻」
蟲(chóng)捕りをしているのは一目瞭然なのだが严肪、これしか言葉が見(jiàn)つからなかった。
「ムシ谦屑、ムシとってる驳糯。」
その言葉の発音やらイントネーションやらで氢橙、その人は酝枢、僕らの知っている普通の大人ではないような気がした。むしろ悍手、僕らに近い存在であり帘睦、すぐに友達(dá)になれると思った袍患。「どこに住んでるの竣付」钛樱」
決まって、子供の質(zhì)問(wèn)は短い古胆。それに肆良、聞いたらほとんど興味を示すことも納得することもなく、次の質(zhì)問(wèn)に移る逸绎。
しかし惹恃、今度ばかりは違った。
「あっちの青い家」と彼は棺牧、青いビニールシートのまかれたダンボールを指差したからだ巫糙。
子供は醜い差別をしない。すべて自分たちと対等に考える平和できれいなこころがある颊乘。僕らはすぐに友達(dá)になり参淹、彼を「ムシのヒト」と呼んだ。
その日から蟲(chóng)捕りは「ムシのヒト」と一緒に行うこととなった疲牵。
夏休み最終日承二。今日を境に、しばらくは會(huì)えなくなる纲爸。その日亥鸠、三匹の白いイモムシを捕まえた。ムシのヒトに報(bào)告すると识啦、
「クワガタだ负蚊、クワガタ」と言った。その日の収穫はそれだけで颓哮、すぐに夕日が落ちた家妆。
「今度はいつ會(huì)える∶崦」ムシのヒトに聞くと伤极、
「それがクワガタになったらね∫躺耍」そう言った哨坪。
僕は、今までの経験を生かし乍楚、そのイモムシを大切に育てた当编。死なせてしまったら、二度と會(huì)えない徒溪。そんな気がした忿偷。
翌年の春あたり金顿、二匹が羽化した。一匹は食べられてしまったらしい鲤桥。コロコロして揍拆、緑に光った蟲(chóng)だった。ちょっとがっかりしたが芜壁、急いであの森へ走った礁凡。
青い家の前高氮、髭が伸びたムシのヒトに高々「へっ慧妄。」と見(jiàn)せた剪芍。
彼は塞淹、僕を見(jiàn)て、うなずき罪裹、泣いた饱普。
約束を守るとは、こういうことなのだ状共。當(dāng)時(shí)の僕と「ムシのヒト」は套耕、そう言っているような気がした。