漢語って何だろう滑废?
前章で笋除、愛貓家という言葉を使いました踏兜。もしかすると词顾、いままで愛貓を「アイネコ」、愛貓家を「アイネコカ」と読んでいた人もいるかもしれませんね碱妆。貓の字音はーー字音というのは肉盹、漢字の発音ですーービョウです。ミョウとも読まれる疹尾。日本式の発音上忍、日本式の読み方は、字訓(xùn)といいます航棱。ネコは字訓(xùn)です睡雇。ちなみにぼくは、古代エジプト人みたいに貓を神のごとく崇めていまして饮醇、半ば病的な貓好き它抱。ですからもう三十年以上、半貓人を名乗っています朴艰。
ところで观蓄、酔貓よ言う漢語があります。
酔っぱらった貓ですね祠墅。夏目漱石『吾輩は貓である』の有名な無名の貓は侮穿、あの小説の終わりで酔っぱらってしまいます。そして自分のことを酔貓と言う毁嗦。ああいう貓が酔貓ですね亲茅。
おっと、これは冗談です。全然違います克锣。酔貓なんて言葉を漱石は使っていません茵肃。
什么是漢語?
在前一章袭祟,我使用了“鏟屎官”這個(gè)單詞⊙椴校現(xiàn)在,喜歡貓的一般自稱“貓奴”巾乳,養(yǎng)貓的稱為鏟屎官您没。貓的叫聲,寫做漢字的話胆绊,一般寫成喵氨鹏。日本的發(fā)音,日本的讀法辑舷,稱之為訓(xùn)讀(日本讀音喻犁,與中文發(fā)音不一樣的讀法)像“貓”這個(gè)單詞,就是訓(xùn)讀的讀法何缓。順帶一說肢础,從古埃及人將貓奉為神明的做法,我深刻地懷疑古埃及人可能是重度的吸貓愛好者碌廓。如果這種情況持續(xù)三十年以上传轰,我們也稱之為半貓人。
還有“貓奴”這種說法谷婆。
我是一個(gè)重度貓奴慨蛙。夏目漱石的《吾輩貓人》中描寫的貓咪,不管是有名的也好纪挎,無名的也罷期贫,我都從頭至尾認(rèn)認(rèn)真真仔仔細(xì)細(xì)地看完了。我應(yīng)該算得上是一個(gè)合格的“貓奴”异袄,重度吸貓的那種通砍。
開個(gè)腦洞,夏目漱石可沒親口承認(rèn)他是個(gè)“貓奴”烤蜕。